筆と拳のあいだにあるもの|絵を描くことと詠春拳修行の共通点

「詠春拳を始めてから、絵にも変化があった気がする」
そんな感覚を持つようになったのは、型の練習を続けていたある日のこと。
私は長年、絵やイラストを描いてきましたが、詠春拳の修行と絵を描くことには、想像以上に共通点があると気づきました。

この記事の絵は2024年の師父のお誕生日プレゼントとして私が描いた鉛筆画です。
この絵を描きながら感じた事、絵を描くことと詠春拳の修行中に感じる共通点について書きます。

「繰り返し」の中に見えてくる変化

イラストも詠春拳も、同じことを繰り返す作業があります。
小念頭を何度も練習するように、線も何度も描き直す。
最初は見えなかった癖や違和感が、繰り返すことで少しずつ浮かび上がってくる。
「なぜこの線はうまくいかないのか」 「なぜこの動きは流れてしまうのか」。
原因を探しながら修正していく過程は、どちらもとても似ています。


「意識を内に向ける」ことで精度が上がる

詠春拳では、自分の身体感覚に集中することが大切です。
呼吸、重心、力の抜け方。
これはイラストでも同じで、「この線はどこから生まれているか」 「どんな感覚で描いているか」を感じることが、自然な絵につながっていきます。

また自我を抑えて全体で見る事。あるべきものがあるべき場所へ、見たもの感じたものを自分の中に通し、再構築する点も、絵を描くことにも、武術にも共通する感覚なのではないかと感じています。

意識が散っていると、どちらもバランスを崩してしまう。
だからこそ、内面への集中が不可欠です。


「自分と向き合う」静かな時間

イラストを描いているとき、私はとても静かになります。話しかけられても気が付かないほど。
小念頭をしているときも、周囲の音が消えていくような感覚がある。
どちらも、外の世界から離れて、自分とだけ向き合える貴重な時間。
その時間こそが、私にとって「整える」時間であり、「進む」ためのエネルギー源になっています。


筆も拳も、自分の中から生まれる表現

詠春拳は、単なる動作ではなく、自分の内側を通って形になるもの。
イラストも、単なる線ではなく、自分の心の動きが形になったもの。
どちらも「自分の中をよく観察し、それを丁寧に出していく作業」なのだと感じます。

私はこれからも、「筆」と「拳」、両方と向き合いながら、
そのあいだにある「私自身」の成長を楽しんでいきたいと思います。


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詠春拳の師父を描いた鉛筆画の肖像イラスト

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