「拳は心なり」
これは、武術の世界で古くから語り継がれてきた言葉です。
拳=テクニックではなく、拳はその人の心の在り方を映すもの。
この言葉に、私は詠春拳を通して何度も向き合ってきました。
型に向き合うと心が見えてくる
たとえば、小念頭(Sil Lim Tao)。
ゆっくりと動きを繰り返すこの型は、外から見れば単調にも見えるかもしれません。
でも、集中力が乱れていたり、気持ちが落ち着かないと、
驚くほど動きにそれが現れるのです。
肘が浮いたり、手がブレたり、呼吸が浅くなったり。
自分では平常心のつもりでも、拳は正直です。
だからこそ、「拳は心なり」という言葉が、型を通じて身にしみてわかるようになってきました。
稽古のたびにリセットされる
忙しい日々の中で、
心がざわついたまま稽古に向かうこともあります。
けれど、黙って型に向き合っていると、少しずつ心が整っていくのです。
自分と向き合い、
流れるような手の動きに呼吸を乗せ、
ただ今この瞬間に集中する。
不思議と、終わった頃には頭も心もすっきりしています。
拳を整えることは、心を整えることでもあるのだと、改めて感じます。
子育てや日常にも活きる心構え
この「拳は心なり」という考え方は、
稽古中だけでなく、家庭の中でも役立っています。
娘が落ち着かない時、
まず私自身の呼吸が浅くなっていないかを振り返る。
感情的になりそうな時、型の中で学んだ「静中の動」 「動中の静」を思い出す。
詠春拳は、戦うためだけの拳ではありません。
日々の暮らしの中で、心を整える術として、常に頭の中でどういう拳でありたいのかと思い描きます。
これは武術を始めるまではなかった感覚です。
それまでは何かあるとイライラもやもや、自分の感情のコントロールが下手で人にあたって後悔することも。
仕事や人間関係のトラブルにもくよくよと落ち込むような性格でしたが、今はかなり打たれ強くなりました。
拳は心なり。だからこそ、丁寧に
拳は心を映す鏡。
だからこそ、私は一つひとつの動きを丁寧に大切にしていきたいと思っています。
すぐに上達しなくてもいい。
焦らなくてもいい。
ただ、今の自分の心がまっすぐ映るような拳を打てるようになりたい。
「拳は心なり」
この言葉をこれからも、自分の中で育てていきたいと思っています。
