武道や武術の世界で、よく引用される名言に「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす。」という言葉があります。
これは剣豪・宮本武蔵の言葉とも言われ、修行とは何かを深く考えさせられる一句です。
「鍛」とは何か?
「鍛える」とは、まず形を覚え、身体を動かすことに慣れ、心身を武術の型に馴染ませていく段階です。
千日、すなわちおよそ三年近くも、ただひたすら基礎を繰り返すことで、ようやく自分の身体の一部として技が馴染んできます。
私は詠春拳を三年ほど修行していますが、ようやく「鍛」の入口に立ったのかもしれない、そう感じることがあります。
「小念頭(Sil Lim Tao)」を一日に三回繰り返す日々は、まさにこの「鍛」にあたるものです。
「練」とは何か?
「練る」とは、単なる反復を超え、技の意味や応用、さらには心の動きまでも含めて深めていく段階です。
一万日——約30年という歳月が必要だということに、気が遠くなる思いもしますが、だからこそこの道には果てがありません。
形を超え、形を捨て、そしてまた形に戻る。
その往復こそが、武術の修行の醍醐味であり、生涯を通じての「練」なのだと思います。
日々の稽古に意味がある
この言葉に出会うたびに、「今日の稽古にも意味がある」と、心が静かに引き締まります。
どんなに短くても、どんなに集中できなくても、続けること。
それが「鍛」となり、やがて「練」となると信じて、私は今日も小念頭を立って行います。
皆さんの稽古にも、意味があります。
一歩一歩、共に歩んでいきましょう。